院卒新人サラリーマンのメモ代わり

備忘としてのメモを記載

共同体感覚

ほんのちょびっとだけ書きたいこと。
嫌われる勇気より共同体感覚について。

人は居場所を求める。ある集まり(以下共同体と呼びます)を自分の居場所にするにはその共同体に対して自分が何を出来るかを考え行動しなくちゃいけない。わかりやすく言えば共同体に尽くすことが大切であるってこと。

この考えはとてもおもしろいと思うし、身近の人を見ると納得も行く。高校とかで積極的に委員会に入ったりする人はこういうことだったのかなと最近思った。ただ、それでも僕は面倒だと思ってしまう。なぜ自分の時間を減らしてまで人に尽くさなくちゃいけないのかと。まぁ時間を減らすとか言いながら結局その時間をだらだら過ごしちゃう自分に少し自己嫌悪ですけど。

他人に尽くすことを面倒だと思わないようになれたら、きっと生きるのはとっても楽になれる気がする。面倒なことを面倒だと思わないで済むようになれる気がする。
今、僕は委員長のような自分の時間を減らして他人に尽くすことは嫌だと思っている。僕の人生は僕のものだから嫌なことはやりたくないと思う。だけど、挑戦してかなくちゃさっき言ったような感覚は理解できないのかもしれない。う~んどうしたらいいんだろう。

僕は何だか自分の時間を取られるという意識が強いのかもしれない。何かをした際にも「何時間使った」とか考えてしまうことが多々ある。特に予定がない土日に何か集まりがあると貴重な1日がとか思っちゃう。これは良くないんだよね。時間があってもだらだらしちゃうなら何かした方がマシなはずなのにね。