院卒新人サラリーマンのメモ代わり

備忘としてのメモを記載

学びて思わざれば則ち罔し 思いて学ばざれば則ち殆し

どんな時に勉強がわかったと思うのだろうか。
僕は”前に勉強したこと”と”今勉強したこと”がつながった時にわかったと感じる気がする。

最近だと高校の物理でバネとかの問題ひたすら解かされたのが大学のシステム制御工学につながった時に少しわかった気がした。そこがつながった時に大学での力学もわかった気もした。
あとは高校のときの倫理ではもっとたくさんつながった気がした。あの人とこの人は時代も場所も違うけど言ってること同じじゃんってのが多々あった気がした。ただもう半分ぐらい忘れちゃった。あとで参考書でも読み返してみよう。


で、これで思ったことが孔子
学びて思わざれば則ち罔し 思いて学ばざれば則ち殆し
という言葉について。

"学ぶ"ことは頭のなかに点を打つこと(=暗記)、"思う"ことが点と点を結ぶことって考えるととっても納得できた。
この考え方だと”わかる”って状態は適切に線が結ばれていることだと解釈できる。(僕のイメージはニューロンシナプスで繋がってる感じ)
勉強は暗記して知識を頭のなかに入れ、それがどういうことなのかを結びつけて考えることまで含めて勉強っていうんじゃないかな。
つまり勉強は知識を入れることばかりじゃなくてちゃんと外に出してかないとダメなんだろうね。


大学受験などで問題を解く上で”答えがわかる”と”問題が解ける”はだいぶ違うのもきっとこれと同じだと思う。
答えを見ればわかる状態ってのは頭のなかにはちゃんと点がある、だけど線は結ばれてない。
答えを見ると答えの上では線が結ばれているからわかる気がする。
ただ自分一人で線を結ぶことはできてないわけだからあとで解こうとしても解けない。
それに対して問題が解けるってのは自分一人で線が結べている状態だから問題が解ける。
この状態であればきっと応用もできるんだろうな。
だから効率のよい勉強法はやっぱ答えを見て解き方(=線の結び方)を覚えて、一人でも解ける(=線を結べる)ようにすることだと思う。

ただ問題の解き方ってのは実はもう一種類あって”その問題の解き方”をそのまま暗記してしまうことである。
これはそういうもんなんだって自分を納得させてよく理解もせずに覚えちゃうこと。
こうやって問題を解いていくと解き方を忘れたり、勉強がつらかったり、応用問題が解けなくなっちゃうと思うんだよね。
ただ僕は大学受験のときはこれだったけどね、というか今も理解できない時は単位のために仕方なくこれやっちゃうけど。
とはいえはじめはこのやり方でやっててもあとあと1行1行意味を考えるようになると理解につながると思うけどね。


勉強ってきっと理解さえできれば加速度的に面白くなるんだろうけど理解するまでがつまらないんだよね。
はじめは意味もわからずそういうものだと自分を納得させてつめ込むだけ、理解しようとするには時間もかかるしやになっちゃう。
勉強の楽しさはy=x^2のグラフみたいってのはとっても正しい表現だと思った。